前回は「あなたの信念は誰がつくった!?~信じるもので何を達成できるかが決まる~」というお話しでした。
※前回記事はこちら
今回は「”できないこと”は望まない!?~自己評価と達成力➀~」というお話です。
ゴール設定と対で重要なモノ=自己評価
これまでこのコラム内にて、度々「ゴール設定の重要性」を説いてきました。
ただ、もうひとつ「対」で重要なモノがあります。
それが「自己評価」です。
すなわち、自分自身を「どう思っているか?どう評価しているか?」。
これが、ゴールを達成する上で重要となってきます。
“できる”と信じていないことを、望むことはない:エフィカシー
この部分について、
で、かつてのタイガー・ウッズの例から紐解き、詳細に記載しました。
ちょっと長くなりますが、下記に引用したいと思います。
みなさんは、今までのスポーツの体験で、相手がミスをしたら自分が勝ってしまう、というような場面に出くわしたことはありますか。
この場合、ほとんどの人が「相手がミスをしないかな」ということを、多かれ少なかれ思い描いてしまうのではないでしょうか。
ところが、プロゴルファーのタイガー・ウッズは違うのです。
ある大きなゴルフの大会でのこと。
タイガー・ウッズは、相手がパットを外せば自分が優勝という場面にいました。
そして、実際に相手はパットを外してしまったのです。
そこで見せたタイガー・ウッズの表情は「喜び」ではなく、「怒り」をにじませていました。
普通は相手が外して、自分が優勝したらうれしいですよね?
ここにタイガー・ウッズのタイガー・ウッズたるゆえんがあるわけですが、実はこのことは最先端のコーチングで説明ができるのです。
彼は「自分自身に対する評価」を「世界最高峰のプレイヤーである」と位置付けていました。
その「世界最高峰のプレイヤーである」自分が、相手が外して優勝などということはありえない、ここの場面では「当然相手はパットを決めて、次のホールで勝負!」と思っていたのです。
だからこそ、それを崩され、怒りをにじませたのです。
このような彼の状態を、最先端のコーチングを学んだ私たちプロのコーチは「エフィカシーが高い」と言います。
この「エフィカシーが高い」ということこそが、スポーツのみならず、自分の持っている潜在的な能力を引き出し、ハイ・パフォーマンスを発揮するカギとなります。
世界的にも注目されている概念です。
この「エフィカシー」の話をすると、一般的な解釈では、よく「プライド」と混同されます。
両者は似て非なるものなのですが、最大の違いはベクトルが「相手」ではなく、「自分」であることなのです。
すなわち、「プライド」は「他人との比較」、「エフィカシー」は「本来あるべき自分の姿との比較」なのです。
その「本来あるべき自分の姿」が「世界最高峰のプレイヤーである」からこそ、タイガー・ウッズは相手が外したときに悔しがったのです。
「世界最高峰のプレイヤー」の自分にふさわしい相手は、あんなパットを外すはずはないということです。
相手が外したことでエフィカシーが下がってしまうと「怒って」いたのです。
「世界最高峰のプレイヤーである自分」という、「自分に対してのイメージを維持する」ために、自然に怒ってしまったのでしょう。
ここで重要なポイントは、「エフィカシー」は「他人からの評価」ではなく、「自分の自分に対する評価」ということです。
「他人」という言葉が一つも入っていません。
私たちは、親や先生といった影響力のある大人の評価を過去に自分の評価として受け入れ、自分はこういう人間だという「自分自身の評価」をつくっています。
ところが、その「他人の評価」を大人になった今も受け入れているために、自らの可能性に蓋をしてしまっているのです。
タイガー・ウッズの父親が、アメリカの特殊部隊であるグリーンベレーの所属だったことは有名ですが、そこでこの最先端のコーチングを受けており、そのエッセンスをタイガー・ウッズも学んだといわれています。
「エフィカシーが高い」ことは謙虚であることと両立できる
では、このエフィカシーについて、勘違いされやすい言葉と比較することで、もう少し掘り下げて見ていきましょう。
エフィカシーが高い ≠ 尊大である、横柄である
・そんだい【尊大】
(名・形動)威張って、いかにも偉そうな態度をとる・こと(さま)。
(『大辞林 第三版』三省堂)・おうへい【横柄】
(形動)見下したようなえらそうな態度をとるさま。大柄(おおへい)。(同前)他人を見下げるような態度をとったり、人を無視した態度をとることは、ある意味、「自分の方が優れているとアピールしている」ことといえます。
エフィカシーが高い人は、そのような行動をとりません。
「尊大で、横柄であること」は、本来自分自身に向けられるべきエネルギーが「他人との比較」になっており、これは「プライド」に関わっているといえそうです。
エフィカシーが高い ≠ マナーが悪い、礼儀知らず
・マナー【manner】
行儀。作法。礼儀。(同前)・れいぎ【礼儀】
①社会の秩序を保ち、他人との交際を全うするために、人としてふみ行うべき作法。礼節。
②謝礼。(同前)エフィカシーが高いということと、「マナーが悪い、礼儀知らず」であることとは関係がありません。
辞書の通り、礼儀は「社会の秩序を保ち、他人との交際を全うするために、人としてふみ行うべき作法」なのであり、自己に対する評価のエフィカシーとは関係がないのです。
エフィカシーが高い = 謙虚である
・けんきょ【謙虚】
(形動)ひかえめでつつましやかなさま。自分の能力・地位などにおごることなく、素直な態度で人に接するさま。(同前)ですから、エフィカシーが高く、謙虚であることは両立できる概念なのです。
なぜ以上のような例を紹介したかといいますと、日本人は往々にして、「卑下と謙虚」あるいは「自己評価が高いことと、冷徹で尊大であること」などを、文化的背景からごちゃごちゃにしてしまいがちであるからです。
そのあたりの違いをきちんと把握するために、上記の意味の違いを確認しました。
~中略~
次に、「エフィカシーが低い」ことのデメリットを考えてみたいと思います。
エフィカシーが低いと、「それは雲の上の世界にいる人たちの話だ。そのような世界で生きるのは自分には無理だから、関係がない」と、「自分には関係ないこと」として認識してしまうことにつながります。
引用:超一流アスリートのマインドを身につけて あなたのゴールを達成する!
菊池教泰 著
“できると信じる”から、達成を望み、行動し続ける
結局、エフィカシーとは、「自分自身の実現力を信じること」と言えます。
そしてそれは通常、過去にどのようなことを達成してきたか?といった「過去ベース」で決まってくるものですが、私たち認知科学コーチングを学んだ人間は、「未来ベース」でクライアントのエフィカシーを高めることを仕事としているのです。
その方法論については、もう少し先のコラムで述べますが、次回もこの「エフィカシー」について、深堀りしていきます。
お楽しみに!