前回は「”できないこと”は望まない!?~自己評価と達成力➀~」というお話しでした。
※前回記事はこちら
主に、「エフィカシー(自己効力感:ゴール達成能力の自己評価)」というものの定義について、述べました。
今回はさらにエフィカシーを深堀りする、「”ねたみ”は自己評価を傷つける!?~自己評価と達成力②~」というお話です。
日本人はエフィカシーが低い!?
日本人は特に、「エフィカシーが低い」という海外からの指摘もあります。
私の知人に、言語学博士としてカナダの大学でご指導されている教授がいらっしゃいます。
その教授に私が「エフィカシー」の話をしたところ、「海外の学生は、高い点数を取った人が自分以外にいると悔しがるが、日本人は自分より低い人がいると喜ぶ」と話してくれました。
前回のコラムにて日本では、「自己評価の高さ、尊大、横柄、マナーが悪い、礼儀知らず、謙虚」が、ごちゃごちゃになっているという話をしましたが、さらにいうならば「同調を求められる社会」ということも関係してそうです。
つまり、「自分とは違う他人を認める」ということよりも、「同調しない者を仲間外れにする」。
こういった背景が、「どうしたら他人に嫌われないか、仲間外れにされないか」という他者評価が優先され、自己評価が育ちにくい要因となっているように感じます。
エフィカシーは相手との競争ではない=「私もすごいが、君もすごい」
エフィカシーは「本来あるべき自分との比較」なので、他人を蹴落とし、自分が成り上がるという資本主義の限界を突破できる新時代のパラダイムです。
なぜなら、エフィカシーを高めると「私もすごいが、君もすごい」と思えるからです。
他人をねたみ、蔑み、批判するのは、「他人を引きずり落としたい」という考えから来ています。
つまり、無意識レベルでは、自分の価値は高くないことを認めてしまっているといえます。
ですから、他人のゴールの達成は祝福するべきなのです。
同時に、自分自身も祝福を受ける価値のある人間であると認めるべきなのです。
もし仮に他人をねたむ感情が出てきたら、それはすなわち「自分のエフィカシーが低くなっているシグナル」として注意が必要だといえます。
では、この「低くなったエフィカシーをどのように上げていくか?」については、次回以降をお楽しみに。