前回は『収納王子コジマジック』が誕生するまでのお話を聞かせていただきました。今回はコジマジックさん
のお笑い芸人としてのデビューからブレイクまでのお話やご自身が経営なさっている会社についてのお話を伺いました。
収納王子コジマジックが生まれる前の活動はどうでしたか?
デビューして5年目でその当時の漫才の新人賞は全て受賞することができたので、それこそ芸人として揺るぎない基盤が築けると思っていました。その後、テレビやラジオのレギュラーが9本になったのは良かったんですが、メディアの仕事がメインになり、自分たちが一番大切にしなければならない劇場の仕事を断るようになってしまったんです。メディア以外の仕事が入ってくると「テレビじゃないんですよね?」、こんな感じで仕事を選んでいると瞬く間に仕事は減っていきました。
我々芸人は常に新しいネタを発信し続けなければなりません。1度舞台にかけたネタは「あっ、そのネタ知ってる…」と思われてしまいます。とにかくネタの賞味期限って短いんです。テレビでは漫才をする機会も少ないですし、お客さんが目の前にいるわけではないので、反応がわかるまでは時間がかかってしまいます。やはり新しいネタを作り出して行くためには、劇場で生の声を聞くのが大切だということに改めて気づきました。
今は劇場に出演していますか?
「東京で1年間死に物狂いで頑張って、それでもダメだったら解散しよう」と相方と話し合い、36歳の時に上京しました。もちろんたった1年で成果など出るわけがなく、相方は大阪は戻り、私は東京に残るという、数あるお笑いコンビの中でも珍しい遠距離コンビになりました(笑)その際に相方と1つだけ約束したことがあります。それは「我々の原点である漫才だけは続けよう!」ということ。事務所に無理を聞いてもらい、師匠から若手までが一挙に出演する「正月興行」「ゴールデンウィーク興行」「盆興行」での漫才だけは、今でもずっと続けています。
お笑いの仕事は楽しそうに見えるかもしれませんが、体力的にも精神的にもかなりきつい仕事なんです(笑)ネタ作り1つとっても、漫才の大きな大会に出場するために、たった4分のネタを1年間がかりで作ります。芸人は、脚本、演出、演者、全てを自分たちだけでやらなければなりません。そういう日々が続くと追い込まれすぎて、相方が息をしてるだけでイラッと来てしまう時があるんです(笑)お笑いコンビは仲が悪いとか言いますが、決して仲が悪いわけではないんです。一番必要で大切な人だってことはわかってますから。単独ライブの準備も、通常の仕事をこなしてから朝までネタを作ったりと、体力的にも辛かったりします。
事務所にもよると思いますが、我々の場合、基本的にライブはギャラがありません。面白いネタを作れば、それが関係者の目に留まり、テレビに呼んでいただける。つまり先行投資です。単独ライブ当日までそれはそれは過酷な日々を送るため、ライブが始まるギリギリまでは、もう2度とこんなことしたくないと思っています(笑)
でも単独ライブが終わって、相方と楽屋で1番に話すことって「次はいつやろうか?」なんですよね。
お客さんの笑顔や笑い声が今までの苦労が帳消しにしてくれるんです。芸人をなかなか辞められない理由は、自分たちが考えたものが認められるという中毒性だと思います。
お笑い芸人としての活動と収納の頭の使い方は似ているところはありますか?
“発想する”という意味では似てますね。
収納を考える時は、100円ショップやホームセンターに行ってヒントを得たりします。漫才のネタを作る時もいろんなところに行ってヒントを得るというところも似ていますね。
ご自身で事業を始めたのはいつ頃からですか?
個人事業として始めたのが2009年12月、そしてその半年後、2010年6月に法人化しました。
主な活動は、企業向けや学校・PTA向けの講演会、モデルルームなどの収納コーディネート。メーカーとコラボした収納グッズの開発、企業のオフィスや個人宅の収納コンサルティングや実際に訪問しての片づけ作業なども行っています。
1ページ 2ページ